子供部屋

硝子のシューズは痛いだけ

覚悟

濱田君がひとりになった日

濱田君が確かに変わった日

私は一生、忘れることはないだろう。






大阪城ホール入場口へと向かう道、ぐるりと歩かされるスタンド席のチケットを持った女の子たち、

皆がみんな、わざとらしいほど普段通りにふるまおうとして余計に変な空気が漂っていたのを覚えている。





意味深なざわめきの中、開演

そこにいた自担は私の知っている彼ではなかった。

ピエロみたいだと思った。

わざと泣き顔を描いてその下で笑う悲しき者。

ついこの間まで冷たくて自分のファンとろくに目も合わせようともしなかったくせに、ヲタクのこと大嫌いだったよね。

ずっとずっと見つめてきたのに、こんなときになって初めて目が合って、笑いかけられた。

笑い返すしかなかった。

まるで何事も無かったかのように。

「大丈夫だよ」と励ましあって。

優しすぎる嘘を交わしあった。



ひとりになった途端、都合良すぎじゃない?

そんな気持ちよりも、彼のその「覚悟」が嬉しかった。

優しい阿呆の「濱ちゃん」として生きることを武器にすることで生き残ろうと切り替えた彼が。






それでも、今も昔の面影を追いかけてしまっているヲタクの戯言


あの冬の話をしよう

日生ANOTHER千穐楽でぼんやりと発表された冬の予定、正式発表まで、私はただひとつのことだけを気にしていた。

それは、濱田が誰と組むのかということ。

好き嫌いで組んで欲しい人ではなく誰と組めば有利であり有益であるのか。



発表されたBとGの組み合わせ、クレジット順を見てとりあえず安心したというのが正直な感想、そして公演としてもクオリティの高いものになりそうでわくわくさせられた。

ユニット別の公演が無いと嘆く他担を羨ましくも思いながら。

スペシャル公演を申し込むという考えは無かった、自担メインの公演にありったけの名義をつぎ込むことに意味があったし、単純にメイン公演があるのにわざわざ出番の少ないものに申し込む意味が見いだせなかったというのが何よりの理由。

あけおめコンサートに行く予定のない私にとって、これが関西Jr.の自担を見る最後だという覚悟で。










全編コントだと事前に聞かされたB公演、期待せずに行った一日目


…見事に騙された。

忘れてた、すっかり。あいつらの狡いところ。

普通に面白いコントして、普通に神なメドレーして、普通にめちゃくちゃかっこつけて、実際めちゃくちゃかっこよくて(あえての崩し文章表記)、

そしてこのタイミングで最後の曲に「もう君以外愛せない」を選ぶ意味くらい私にだって分かるよ。

そう私達に言わせたいんでしょう、自分たちからのメッセージと見せかけた罠だと。



これから先の未来がどうなろうと彼に着いて行くと決意「させられた」。










そしてG公演

入場前に鳴り響いたスマホに映し出されたのは流星休演の速報だった。

確かに劇場前がいつも以上に異様な空気を漂わせていたことを今でも覚えている。

濱田担の私はそれを横目に入場、大人しく開演を待った。



幕が上がると、貼り紙通り、メインメンバーとしてステージにいるのは濱田神山の2人だけだった。

「皆さんの言いたいことはよーく分かります(笑)」

もう、お互い笑うしかなかったね。

それからは、流星の不在を補うかのように皆で一体となって盛り上がった。

あんなにもアツい松竹座はいつ以来だろう、DVD撮りの日の少年たちくらいだろうか。全編生歌、ダンス曲も被せての生歌という彼等の姿勢も更なる盛り上げの大きな要素となった。

クオリティは言わずもがな。


2日目、ミスパを撮り終わってすぐ新幹線に飛び乗った流星が現れたのは、ちょうど濱田が26歳の抱負を語っている途中のことだった。

流星は悪くないけど、スタッフさんタイミング…

次の日にたっぷりと時間をかけて想いを語ってくれたのを、私は見られた(聞けた)から良かったけれど。

そのときのことに関しては以前、「膜」に記したので今回は省略。


3日目、ラスト公演にして初めて最初から最後までフルメンバーの揃った回

最高の盛り上がりで幕を閉じた。







BとG合わせて6公演、そのすべてが忘れられない大切な宝物

B公演もG公演もあのメンバーにしか作りあげることの出来ない公演だった。

特にG公演は今でも私の中で特別なものとして胸に刻まれている。

彼等が組んだセットリスト、それは長い年月を松竹座で関西Jr.として活動した歴史の絵巻物だった。それは自分たちのファンが共にその時代を生き抜いてきた者達であることをよく分かっていたから。

beautiful未来、Esper、NEXT STAGE…次々と披露される懐かしの楽曲、

ラストの曲はシルエットでなく「鼓動」


そして何より、アンコールに選んだのが浪花一等賞!でなくロマンティックだったこと。

幼き頃の私が初めて行った関西Jr.のコンサート、2007年夏松竹座公演、そのOP曲がまさにロマンティックだったのだ。

ロマンティックに始まり、ロマンティックに終わった私の青春




濱田君は本当に狡い人

それまで封印されていた2曲をこの公演で、最後の最後に見せてくれた。

あの曲をおふざけコーナーで使われたら、どんな顔して聞けばいいか分からないじゃない。


結局、私は笑いながら少しだけ泣いた。


濱田が私たちに見せてくれたもの、それは確かに此処にBOYSがあったこと、彼等が全力で生きていた証



こうでもされないと成仏出来ない私みたいなやつを濱田君自ら埋めてくれてありがとう

花を供えてくれてありがとう

手を合わせてくれてありがとう


お陰で心からジャニーズWESTを楽しめているよ。

少し時間はかかったけれど。



これからもよろしくね、

ジャニーズWESTの濵田崇裕君

デビューおめでとう

そしてありがとう









2015年上半期現場まとめ

※一公演のものは回数表記無し




1月
一発め(略)大阪×3、ニズム大阪×2、レコメン公開収録、なにわ侍×3、渋谷すばる(Hatch)


2月
If or...VII大阪


3月
ブラブラ大阪、少年収


4月
なし


5月
パリピポ横浜×3、パリピポ名古屋、パリピポ大阪


6月
パリピポ神戸×2



計20公演

ジャニーズ以外は

1月
海をゆく者

そして今週末に五右衛門VS轟天を観て上半期は終了!!




私が同担を拒否する理由

それは「濵田崇裕」というアイドルを愛しているから。

それは「濵田崇裕」というひとりの男性に恋をしているから。











私の目に映る彼が100%の偶像だなんて誰が決めたの?

どこまでが皮で、どこからが生身だなんて誰が分かるの?

私にも貴女にも分からないでしょ。



私の中にある彼の像は私だけのもの。

長い年月をかけて積み上げてきたもの。

誰にも触らせやしない、崩させやしない。

私の中だけで完結させる世界。

だからだれも要らないの、ごめんね。




「最強の10人」と呼ばれた男達

昔むかし関西の地にBBVと呼ばれた男達がいた。

ほとんどの人々は彼等を讃え、当の本人達も自らを信じ互いを信じ10人でてっぺんを獲ると誓った。


ほとんどの人々、は。










前年の2009年からその予兆はあった。

初めてお芝居としての松竹座という舞台を受け継いだ夏、メインキャストとされたのがこの10人だった。

この舞台のテーマソングとして生まれたのが「BIG GAME」である。

この曲がそれから約2年間の10人+7WEST(+その他)という構図が出来る大きなきっかけとなった。

しかし、同年の冬は前年と同じようにユニット別でコンサートが行われ10人という体制がそれほど強調されることは無かったように思う。10人で太鼓を披露することはあったけれど、そのくらいだ。


本格的にBBVと呼ばれ始めたのは、2010年の冬からである。

BBVは公式の呼び名だ。

冬の松竹座の日程が発表され、そこで初めて彼等はBBV(正確な表記はB.B.V.)と称された。


私はパソコン画面に映し出された表を見つめながらひとつのことだけを考えていた、




「BOYSはどうなるの」




ふたりになってふたりだけでやっていくことに薄々限界を感じていたものの、それでも「ふたり」が好きだった。ただふたりで、ふたりだけの世界で楽しくやってくれればそれで良かった。

ヲタクのエゴでしかないのは百も承知で、もう少しの間だけ生温い楽園で遊んでいたかった。


次に、3ユニットが合わさることでBOYS(そして濱田)が得られるメリットと発生するデメリットを天秤にかけた、半分半分だ。

序列が上の者たちと組むことは、じわじわと下げられつつあった自ユニにとってチャンスでもあったが、下の者たちと組むことは自分たちまでその位置まで落ちてしまう危険性があった。
それに、10人が10人全員同じ温度でアイドルという仕事への情熱を燃やしているようには見えなかったから。


最低かな。ごめんなさいね口が悪くて、でもこれが当時の私の本音。
ひとりひとりは好きだったけれど、それは別の括りだったから私には関係が無かったからよ。

だって自担にはデビューして欲しかったから、自ユニにはデビューして欲しかったから。どんな形になったとしてもデビューして欲しかったから。


「ふたりで」とは言わないから、ふたり一緒にデビューして欲しかった。
相方だからじゃない、一人のアイドルとして好きだった。
グッズだって同じだけあるよ、捨てられなくて残したまま。良い終わり方じゃなくても私にとっては大切な思い出だから。かけがえのないものだから。これだけは誰にも汚させない。








複雑な想いを抱きながら書き込んだ振込用紙、結果、悪魔のような倍率の中で2公演分のチケットを手に入れることが出来た。

優馬がゲスト出演した公演と10人だけの公演それぞれ一公演ずつだ。



ステージに立つB.A.D.はやっぱり華があって、それは10人で並ぶと余計に際立った。悔しかった。

そして、やはり数人のメンバーからは温度差が感じられ苛立つこともあった。

そんな複雑な想いを抱えているこちら側に比べ楽しそうにはしゃぐ自担を見ているのは複雑だった。

それでいいのか、こんな場所で満足するのか。ここにいても一番にはなれないし何処にも行けないのに。

まるで竜宮城だと思った、このままでは自担はこの場所で歳だけとってしまうと。




すぐ後に崩壊した城跡を見ながら、私は少し泣いて少しほっとした。

センター

今回は私から見た、ひとりの濱田担から見たセンターのあの子のお話。

 
 
 
 
 
 
2008年のあけおめコンサート後のことだった。
 
皆で掲示板やブログで感想を語り合う中、「カメラJr.(※あるメインユニットに、バックJr.がカメラを向けファッションショーのように写真を撮るという演出があったのだ)中の一人の笑顔が最高に可愛い」と話題になった子が居た。
 
 
 
 
それが重岡大毅である。
 
 
 
 
当時の彼はバックJr.の中ではメインメンバー、パンフレットでも他のわらわらとは別に(他数人と)ページを貰えるくらいの立ち位置だった。
私自身、前年に放送されたカンテレ制作ドラマ「DRAMATIC-J」の中の一作で良い立ち位置の子という認識しかなかったと記憶している
 
2008年夏にHey!Say!7WESTに加入、しかし立ち位置は端、しかも同時に加入した2人が新人だったこともあり彼「だけに」スポットが当たるような機会はあまりなかったような気がする。
 
 
 
いつから真ん中にいたのか、分からない。
 
気がついたら、居た。
 
自分の力で。
 
 
2010年少年たちは実質彼が主役だったから、おそらくその辺りの時期なのだろう。私が彼を意識するようになったのも。
 
 
その意識は、けして良いものではなかった。
 
だって、自担の前に立つ人は全員が敵だったから。
 
中でも「センター」に立つ者は。
 
 
 
 
優馬が関西の真ん中に居た時代、私は彼のことを羨んでいた。妬んでいた。それが彼のせいではないと分かっていても態度で示すようなことをしていたと思う。いや、していた。
 
彼がとてもいい子だということ、その立ち位置に相応しくあろうと努力しているところ…痛いくらいに伝わっていた。けれどもそれが余計に当時の私を苛立たせた。私が100%悪いから、分かっているから余計に。その姿を見る度に、自担は真ん中に立てる人間じゃないと気付かされるから。
 
「0番」には0番に選ばれた人しか立つことが出来ない。
自担は「中心」の人だけど、「中央」の人じゃない。
好きだけど、好きだから。真ん中だけが立ち位置じゃないけれど、それでも。
 
 
何よりも悔しかったのは、あるコンサートで『悪魔な恋』の宣伝をそして「仲間」のデビューを祝福するよう客席に促す役目を任されたのが自担だったということ。何故、大人は濱田を選んだのであろう。一生許さない。
 
今ではフラットな気持ちで優馬のことを見られるようになって当時の自分を恥じ反省しているけれど、許してほしいとは思わないけれど、こちらはこちらなりに必死だったということだけは言わせて。
 
 
…話を戻そう。
 
「立たされた」センターの次は、重岡は、「たどり着いた」センター。
 
正直、はじめから、心のどこかで認めていたのだろう。
 
自分の中にある「納得」に戸惑った。
 
「嫌い」とひと言で言い切れるものがあったのなら、いっそ清々しかったのにね。
 
 どうしようもなくどこかで惹かれてしまうところがあって、だけれどそれを認めたくはなくて。
 
コレという明確な理由もなく担当以外の人物に心を揺さぶられるという奇妙な感覚が落ち着かなくて。
 
そこで私は、彼の粗を探すことで「いちゃもん」をつける理由を見つけることで自らの気持ちをコントロールすることにした。下げることでしか濱田担でいる私としてのプライド(今思えば本当にくだらないのだが当時は真剣だった)を維持出来なかったのだ。
 
それだけではない。その頃からじわじわといやもっと前からか、自ユニの序列が下げられてきたと感じることが増えて濱田担としてだけではなくBOYS担として焦りが出てきてそれらすべてをひっくるめて一番分かりやすい標的にぶつけることにした。
 
表だって何かをするわけではなかったが、自らの奥底にある「納得」を否定し続けることでギリギリのところで彼を認めないことで自分を自分の大切なものを守ろうとした。
 
 
 
 
 
 
 
そして2014年冬、自担と「センター」のままの重岡がデビューした。
 
同年の春におこなわれたデビュー記念公演「なにわともあれほんまにありがとう」、その松竹座公演初日に私はある顔を目撃することになる。
 
 
終盤のバンバン!!での出来事だった。4:3に分かれ交代で着替えながら客席を煽るメンバー達、始めに濱田藤井神山が着替えにはけ、ステージにいるのは4人だけという状況になった。
 
「近くの他担より遠くの自担」派の私は誰を見るでもなくふらふらと視線を漂わせていた。
 
そのときである。
 
愛おしそうに客席を眺める重岡大毅を目撃してしまったのは。
 
夢を見せる側の人間のくせに夢の中に迷い込んでしまったようなふわふわした表情で。
 
ただの少年だった。そこにいたのは「アイドル」重岡大毅でも「センター」重岡大毅でもなかった。
 
戸惑った。
 
そしてその瞬間、素直に、心から、「この人が好きだ」と思った。
 
何のためらいもなく。
 
 
 
 
彼に対しての「好き」は鮮明な色を持たない。
 
これを「好き」というのかも分からない。
 
自担への分かりやすい「好き」とは全然違う。
 
けれども私は重岡大毅が好きだと思う、好きだと「認めた」。
 
この記事にオチはない。
 
何が言いたいのか言いたかったのかも分からないまま終える。
 
それでも書いてよかったと思う。
 
濱田担から見た彼のお話、きっと担当さんからはツッコミどころ満載でしょう。それでも書かずにはいられなかった。だから書いた。それだけ。
 
 
 
 
 
 
 
 

「皆さんの為に全力を尽くし生きていくことを誓います」

 

濱田の震える唇から絞り出された愛の言葉に、今も私は縛りつけられている。

 

 

 

 

 

 

2013年冬に大阪松竹座でおこなわれた関西Jr.クリスマスパーティーG公演(濱田神山藤井メイン公演)のオーラスでの出来事だ。

ゲームコーナーの敗者である彼に科せられた罰ゲームは、自分のファンへの愛のメッセージだった。(今思えば罰は酷いな、罰とはw)

 

ゲスト含む仲間たちに冷やかされながら0番に座りこんだ彼は、いつものように照れ笑いを浮かべながら話し始めるのかと思いきや、今まで見たこともないような怖いくらいに真剣な顔で口を開いた。

 

最初に聞いたのは謝罪の言葉だった。

 

心配をかけたこと、迷惑をかけたこと…その両方が彼のせいではないにしろ。彼が伝えたかったことは「ごめんね」だった。

 

その後は入所してから今までのことをつらつらとけして上手ではないけれど誠実に言葉をつむぐ姿をただただ見つめることしか出来なかった。客席だけでなく、ステージにいた仲間たちでさえも。

 

濱田と濱田担の為だけの時間が終わり、水を打ったように静まりかえった松竹座。

誰か(確か淳太)の「泣いてるん?」という言葉を聞いてはじめて私は彼が涙を流していることに気が付いた。

 

「泣いてない!!!!」

 

そう叫び強がる彼の背中が子どものように小さく見えた。

 

 

濱田は泣かない。

 

どんなときも笑ってた。

 

だからこっちも笑うしかなかった。

 

なのに最後の最後で、Jr.として誕生日を迎える(た)最後に、涙を流した。それも自分のファンの為に。

 

 

「皆さんの為に全力を尽くし生きていくことを誓います」

 

冒頭の言葉で締めくくられた愛のメッセージは、今までのものと重みが違っていた。

 

簡単に「愛してる」と口にすることが出来る彼。それはあくまで「アイドル」濵田崇裕から発されるもの、だから安心できた、発信するアイドルと受信するファンの間だけで許される罪の無い遊びにしかすぎなかった。

 

それに、その言葉は自分のファンの為だけではなく関西Jr.のファン全体に向けられることがほとんどだった。

 

なのにどうして、流れる涙をぬぐいもせずに、最後の最後に、自分のファンにだけに向けた愛の言葉をくれたのか。「アイドル」濵田崇裕ではなくひとりの人間として誓いを立ててくれたのか。

 

言葉を口にする度に彼の身体から膜のようなものが剥がれ落ちるのが、私の目には確かに見えた。アイドルの膜が。

 

それは次のコーナーに移ると同時に、再び新しいものが彼にまとわりついて再び「アイドル」濵田崇裕が姿を現した。

 

 

 

ほんのわずかな時間だったけれども、確かにあの瞬間、私はひとりの人間としての濵田崇裕を目撃した。

何年何十年と時が経とうが遠い将来に彼の担当を降りるときが来ようが、2013年12月20日にある成人男性から貰ったひと足早いクリスマスプレゼント、いやプロポーズを私は一生忘れない。