相方
ときどき、夢に出てくる
もう二度と更新されることがないままのアイドルとしての姿で
懐かしい衣装、私の一番好きな青色の衣装で
当たり前のように濱田君の隣で笑っている
私も当たり前のようにその姿を客席から見つめている
通い続けた松竹座の客席で
偽りの幸せの時間
目が覚めて夢だと気が付く度に涙が止まらなくなる
けれども、この前の夢は違った
どこか知らない場所に私と濱田君と3人で、皆、私服姿で居た
私はまだどこか幼く、濱田君はチャラさと少しの冷やかさを混ぜた空気を纏った昔の彼で
そんな私たちに
「ごめん」と
ただひたすらに、地面に頭をこすりつけんばかりにして謝りつづけていた
謝るくらいなら最後まで一緒にいてほしかった
あのままふたりでいたら終わりがくると思っていた
どちらも外の世界を日の目を見ることはないと
後輩の追い上げ、単純な人気やスキルだけでは追い越せない存在
この世界でふたりで生きていくのは難しいと
それなら、ふたりで去ってほしかった
綺麗な思い出のままで
そんなことを考えてしまう
今でも
2016年クリスマス、私は名古屋にいた
2016年12月24日、京セラドームへ向かう為に遠征してきた色とりどりのヲタクたちを横目に、私は新大阪駅から名古屋へ
ナゴヤドームで待っている、7人の男前たちに逢いに行きました
結論から先に言うと、出戻りました
担「上がり」(という言葉が正確なのかは分からないけれども)して、大倉担として出戻りました
濱田君のことを嫌いになったわけではありません
そう書くと、綺麗ごとのように、自分を守るために言っているのだと思われるかもしれません
濱田君を一番好きだった時期の自分自身が今の自分を許すことができないのです
その時期は意外にもそう昔のことではなくて、2013年、大和三銃士からクリスマスパーティーの期間
卒業論文の合間をぬって毎週のように夜行バスに乗り込み早朝の新宿をさまよったときの肌に沁みる寒さ
こじんまりとしたビジネスホテルの机に座りながら便箋に書きなぐった感想の数々
昼夜と公演があれば、その合間にひっかけ橋を渡った先にある飲食店で身を小さくしながら昼公演の感想を書いては玄関ロビーのお手紙BOXへと投函したこと
あの短い期間が、一番、私が濱田担として生きてきた10年の間の中で彼のことを考え見つめていた時間だったのだと今では思います
私は
BOYSが大好きでした
濱大が大好きでした
けれども、「濵田崇裕」というひとりのアイドルへと全力を注いだのは確かにあの秋冬だったと
関西ジャニーズJr.だけでなくジャニーズから飛び出して全く違う世界で勝負している彼を
あからさまに公開デビュー選抜オーディションとして開かれたクリスマスパーティーで自分というキャラクターを全身で表現する強さを
チケットを買う、毎公演何かしらグッズを買う、団扇を振る、手紙を書くといった方法で支えていた日々はたとえ自己満足であろうとも、とても充実していました
そのときの想いを超えることのできないまま、デビュー後の彼を見つめている私が居ました
彼が一人であった期間、彼が目を向け気持ちを伝えていたのは、確かに自分のファンに対してでした
今よりも母数自体が少なく、そして彼自身に原因があったわけではないとはいえ、ユニットが消滅したことにより離れた人だっていたでしょう。箱推し、シンメ推しの多い彼等でしたから
その分一人当たりに与えられるものは大きく、どこかで自分(たち)が特別な存在であると勘違いをしてしまったのです
けれども、デビュー後、彼は自分「達」のファンをまとめて平等に愛するようになり、今までの取り分は少なくなってしまいました
それが正しい、彼の方法が正しい
分かってはいても、大好きな玩具を取り上げられた子供のように、私は拗ねてしまったのです
元々同担拒否の傾向にあったのが、ますます強まり、会場で隣に濱田担が来ると開演前から嫌な気持ちになり、公演を素直に楽しめなくなるまでになりました
そしてもうひとつ、これが決め手となったのが、最後まで「ジャニーズWEST」を、そこにいる自担を愛することができなかったということ
濱田君自身で自分を下げるような行動や過度な悪ふざけが少しずつ目立つようになったこと、そして何よりも一部のメンバーが自担を下げる(そしてアフターフォローに欠けている)といったことが目につくようになったからです
関西ジュニアという大きな括りの中で見ていたときは好感を抱いていたメンバーが、いざ同じグループになると気持ちのよくない面も見えてきてしまって、勿論、いいところも沢山知っていたはずなのにいつしかそれも見えなくなってしまうといった残念なループへと陥ってしまったのです
昨年末まではこのような薄暗い気持ちにずっと囚われていました
濱田君のことを嫌いになったわけではありません
それは本当のことです
年が明け、公開されてすぐに映画「破門」を観に行きました
そこで、私なりに気持ちを整理することが出来ました
スクリーンの中にいた彼は、私の大好きな彼でした(以下、映画ネタバレ?注意)
桑原と二宮との港での場面、初見達に尾行されていることに気が付いた瞬間の表情の移り変わり、それまでの笑顔から引き締まった表情に変化するそのふたつの間で見せた微妙な表情、その一瞬に私の好きな彼が確かに存在していた
言葉で表現するには難しいけれど、確かに、それは、ずっとずっと見てきた彼の演技、私の大好きなものでした
お芝居のカタチには人それぞれの演じ方やこだわりがあると思います
濱田君という人間に役という衣服を纏うように演じる人だと
私はそう思い続けています
そして、そんな彼のお芝居が私はとても好きでした
そして、これからもずっと
ずっと見ていたいとそう思ったのです
担当としては大倉担に戻ることになりましたが、濱田君を好きな気持ちには一生変わりはありません
これからは見たいと思った濱田君だけを見たいと思ったタイミングで追いかけていこうと思います
映画「破門 ふたりのヤクビョーガミ」、みんな観てね!
※年をまたいで書き上げた為、文章の繋がりや文体等にバラつきが見られるかもしれませんが、あえてそのときの気持ちを残しておこうと思います
偶像崇拝
跡を濁すかたちでTwitterアカウントを消して少し経った。正確には、Twitter自体は細々と続けているのだが。
我ながらかっこ悪い、悪いことをしてしまったと反省している。最後の方は、ジャニーズWESTや濱田君のことを好きな人達が読んだらあまり良い気持ちにはならない言葉も平気で書き連ねていた。
ごめんなさい
結局、市場三郎もワクワク学校での姿もこの目で確かめることをしていないから、今の濱田君がどういうスタンスでアイドルをしているのかいまいち分からないまま、けれどもあえて何も確認しないまま、ありのままの「今の」「私の」「濱田担」としての気持ちを吐き出しておこうと考え、久しぶりにキーボードをたたくことにした。
私にとっての濱田君は、かっこいい人。初めて気が付いた瞬間からずっとかっこいいところが好きだった。私には「かっこいい」以外の濱田君は目に入らなかった。
時折見せる天然(という言葉ではまかないきれないこともある馬鹿な)言動も、呆れながらも、それが彼の真価ではないという勝手で確固たる自信があったから大して気にもならなかった。
けれども、デビューしてから、そういった場面で彼のことを「可愛い」と言う人間が増えていった。
スベっても「可愛い」、失敗しても「可愛い」、何をしても「可愛い」という言葉で許される姿が目立つようになった。
「可愛い」を受けて嬉しそうに笑う自担を、私は、「かっこ悪い」と思うようになってしまった。
「可愛い」を受け入れていいのか、そこで止まってしまったらそこまでのアイドルになってしまう。私はそんなに底の浅い人を好きになった覚えはない。
自分よりも少なくとも10歳は年下であろう女の子に「可愛い」と言われることに少しは屈辱を感じないのか。
「可愛い」という言葉を発している子(人)達のほとんどは、心から「可愛い」と思っているのだろうし、そこに濱田君を下げるような意味を込めているわけではないというのは頭では理解しているつもりである。
それでも、心のどこかがむずむすしてもやもやして落ち着かないのだ。
もしかすると、私は彼女たちと同じ「可愛い」濱田君を見ても、そこに「可愛い」を見いだせない、そのことがただただ悔しい、のかもしれない。
私の知らない濱田君がいること、私が見つけることの出来ない一面があることが悔しい、のかもしれない。
気持ち悪いヲタクなのは重々承知。だけどそれなりに長い時間見てきていて、自分の中にある程度固まった「濵田崇裕」像があるから、そこに綻びが生じることが怖い。
だから今は濱田君に触れられない
個人担ですがなにか
祭のあと
デビューしてお祝いムードに浮かれる頭も落ち着いて気が付いた
やはりどうしても私は箱推しなんかじゃないということ
ジャニーズWESTであることで自担(と担当である私)が得られるもの、豪華な衣装、豊富な楽曲、質の高い現場、メディア露出
それらにはとても感謝している
他の6人のことも嫌いなわけではない
(こういう言い方は良くないと分かった上で)、「自担といるにふさわしい人達」という意味では愛していると言ってもいいだろう
それは単純にスキルだったり華だったり、周りに6人がいることで自担も引き立つからだ
それでも私は濱田君しか見ない。たとえ誰が目の前にいようと一番遠い自担を追う
横浜公演で濱田君の主演舞台の情報が解禁された瞬間、私は自らの広島公演のチケットを手放した
それは自分の満足のいくまで舞台に入りたいから、濱田君の為だけの濱田担の為の現場にお金を払いたいと思ったから
今回のツアーで本格的にユニット単位で曲を披露されて、自担が出ていない時間というものが生まれ、「ジュニア担」代の自分を思い出した
自担の出ていない時間の過ごし方が分からないということを
担当以外を見ていたら担当に怒られるというのが当たり前だったときの自分を
誰を見ればいいのか、立てばいいのか座っておいた方がいいのか
とりあえず普段振らないペンライトの電源を入れて光の一部になることでその時間をやり過ごした
かっこいいや可愛いなどという月並みな人並みの感想くらいは浮かんでもそれ以上の感情は浮かばなかった
しつこいようだけど、ジャニーズWESTが嫌いなわけではない
ジャニーズWESTだからこそ見られる自担があることには、与えられるものにも満足している
ただ私は濱田君が好きなだけなのである
いままでの記事が嘘のようになってしまったが、それはそのときの素直な気持ちだから否定はしない
けれども、気が付いてしまった、というだけなのである