子供部屋

硝子のシューズは痛いだけ

METROCK

関ジャニ∞がMETROCK東京公演に出演することが発表された。 「よし、行って来い!!!!!!!!!!!」 今の彼等ならば自信を持って送り出せる。 関ジャニ∞というグループを見続けてきて12年ほど、担当という立場から他担としての立場からそして再び担当と…

相方

ときどき、夢に出てくる もう二度と更新されることがないままのアイドルとしての姿で 懐かしい衣装、私の一番好きな青色の衣装で 当たり前のように濱田君の隣で笑っている 私も当たり前のようにその姿を客席から見つめている 通い続けた松竹座の客席で 偽り…

2016年クリスマス、私は名古屋にいた

2016年12月24日、京セラドームへ向かう為に遠征してきた色とりどりのヲタクたちを横目に、私は新大阪駅から名古屋へ ナゴヤドームで待っている、7人の男前たちに逢いに行きました 結論から先に言うと、出戻りました 担「上がり」(という言葉が正確なのかは分…

偶像崇拝

跡を濁すかたちでTwitterアカウントを消して少し経った。正確には、Twitter自体は細々と続けているのだが。 我ながらかっこ悪い、悪いことをしてしまったと反省している。最後の方は、ジャニーズWESTや濱田君のことを好きな人達が読んだらあまり良い気持ちに…

個人担ですがなにか

物議を醸した桐山照史の例の発言について。実際のラジオ音声は聴いていない。本当は自分の耳でその空気や温度を感じたうえで書くべきなのだろうけれど、Twitter上のレポでその発言を読んだ時点で怒りや悲しみ虚しさでどうしようもなくなり、とてもじゃないが…

祭のあと

デビューしてお祝いムードに浮かれる頭も落ち着いて気が付いた やはりどうしても私は箱推しなんかじゃないということ ジャニーズWESTであることで自担(と担当である私)が得られるもの、豪華な衣装、豊富な楽曲、質の高い現場、メディア露出 それらにはとても…

覚悟

濱田君がひとりになった日濱田君が確かに変わった日私は一生、忘れることはないだろう。大阪城ホール入場口へと向かう道、ぐるりと歩かされるスタンド席のチケットを持った女の子たち、皆がみんな、わざとらしいほど普段通りにふるまおうとして余計に変な空…

あの冬の話をしよう

日生ANOTHER千穐楽でぼんやりと発表された冬の予定、正式発表まで、私はただひとつのことだけを気にしていた。それは、濱田が誰と組むのかということ。好き嫌いで組んで欲しい人ではなく誰と組めば有利であり有益であるのか。発表されたBとGの組み合わせ、ク…

2015年上半期現場まとめ

※一公演のものは回数表記無し1月一発め(略)大阪×3、ニズム大阪×2、レコメン公開収録、なにわ侍×3、渋谷すばる(Hatch)2月If or...VII大阪3月ブラブラ大阪、少年収4月なし5月パリピポ横浜×3、パリピポ名古屋、パリピポ大阪6月パリピポ神戸×2計20公演ジャニーズ…

私が同担を拒否する理由

それは「濵田崇裕」というアイドルを愛しているから。それは「濵田崇裕」というひとりの男性に恋をしているから。私の目に映る彼が100%の偶像だなんて誰が決めたの?どこまでが皮で、どこからが生身だなんて誰が分かるの?私にも貴女にも分からないでしょ。私の…

「最強の10人」と呼ばれた男達

昔むかし関西の地にBBVと呼ばれた男達がいた。ほとんどの人々は彼等を讃え、当の本人達も自らを信じ互いを信じ10人でてっぺんを獲ると誓った。 ほとんどの人々、は。 前年の2009年からその予兆はあった。初めてお芝居としての松竹座という舞台を受け継いだ夏…

センター

今回は私から見た、ひとりの濱田担から見たセンターのあの子のお話。 2008年のあけおめコンサート後のことだった。 皆で掲示板やブログで感想を語り合う中、「カメラJr.(※あるメインユニットに、バックJr.がカメラを向けファッションショーのように写真を撮る…

「皆さんの為に全力を尽くし生きていくことを誓います」 濱田の震える唇から絞り出された愛の言葉に、今も私は縛りつけられている。 2013年冬に大阪松竹座でおこなわれた関西Jr.クリスマスパーティーG公演(濱田神山藤井メイン公演)のオーラスでの出来事だ。 …

13月

濱田の担当になって今年の夏で丸9年になる。 ただ、私はその中の約2年の期間、2011年少年たちから2013年全国ツアーの間まで、濱田の現場(関西の現場)を見ていない。 看守長も黒影もこの目では観ていない。 何故か。理由はただひとつ、濱田と向き合う為に離れ…

ごめんね青春②

今回は大好きなふたりへの「ごめんね」 二人になったBOYSの「売り」って何だろう、当時はずっと考えていた。ふたりでデビュー出来るなんて甘っちょろい考えがあったわけではないけれど、同じ未来にふたりが居てほしいと願っていた。 二人になったことでもうひ…

ごめんね青春①

ドラマの話ではない。 今回は4人と2人のBOYSについてのお話、ずっとずっと吐き出してしまいたかったもの。あらゆる方面へのごめんねと共に。 08年の夏から、BOYSは2人体制となった。そのことに対しての悲しみはあまり無かったように記憶している。私は4人のB…

蒼い季節

私の愛した関西について。 私が最も愛していた時代は2007年、B.A.D.とBOYSが一列目で足を踏ん張り、その後ろには4人で身を寄せ合いながら楽しげに笑うOSSaNが居て、まだそのときは自称の段階であった「べてらん達」が脇を固め、若手から選抜されたTop Kidsは…

濵田崇裕②

つづき 濱田を好きになり、最後の「関ジャニ∞の」松竹座の夏が始まった。しかし、サマースペシャルでの濱田の記憶はあまりない。この時点ではまだ降りるとまではいかない程度の気持ちだったのだろう。(そしてここでも何故かB.A.D.の記憶はある、こういうとこ…

濵田崇裕

見つけたと思っていたのに、本当は捕えられていた。 今回は濱田について、私の中の彼についてのお話。 私が彼を好きになったのは2006年夏のことだった。当時の私は関ジャニ∞のある一人の担当をしていた。だから関西Jr.についてもぼんやりとは把握していた。 …

今更なにわともあれの話

今年の春に大阪松竹座と新橋演舞場で行われたなにわともあれほんまにありがとうについてどうしても今年中に残しておきたいことがあって、キーを叩く。 記念すべき最初の投稿にも関わらず、濱田の話ではない。あるふたりの記憶の記録。 それは大阪公演ラスト…