子供部屋

硝子のシューズは痛いだけ

濵田崇裕

見つけたと思っていたのに、本当は捕えられていた。

 
 
 
今回は濱田について、私の中の彼についてのお話。
 
私が彼を好きになったのは2006年夏のことだった。当時の私は関ジャニ∞のある一人の担当をしていた。だから関西Jr.についてもぼんやりとは把握していた。
 
ぼんやりとというのは、辛うじて桐山中間だけは顔と名前が一致するという程度である。二人ともそれぞれが覚えやすい顔をしていたこと、そして「B.A.D.団」の存在も大きかった。
 
濱田はというと、その他大勢のJr.のうちの一人という認識…いやそれすら無かったかもしれない。
 
2006年といえば、松竹座で関ジャニ∞サマースペシャルが行われた最後の年である。その稽古場に関西ローカル(他の地域でも放送されていたかもしれない)の情報番組「なるトモ!」が潜入した。
 
レポーターが差し入れしたかき氷を頬張るメンバーを可愛い可愛いとニマニマしながら見ていたら、関西Jr.の自己紹介コーナーが始まり当時メインを張っていた5人のお兄ちゃんJr.達(チャラいとにかくチャラい)が前に出てきた。
 
これがすべての始まりだった。
 
一人一人カメラに向かっての自己紹介。まずは相方
 
(°∀°)
 
ナニコノヒトカッコイイ
 
惚れた、うん。タイプではないけど相方とかそういうの抜きでかっこいいなと思ってた最後まで。
 
 
そして次
 
(***°∀°***)💘
 
そう、まさにHITOMEBORE
 
濱田にHITOMEBORE 
 
「好き(顔が)!!!!!!!!!!!!!」
 
好みの顔の芸能人はこの世に沢山いても、この人の顔がまさに私の理想の顔だという人と巡り会える(※気持ち悪い表現ですみませんね)確率はそう高くはないだろう。
 
だけど、私は出会ってしまった。
 
Jr.担のいろはどころか、元々SMAP(バックは外部ダンサー)から関ジャニ∞に一気に降りた当時の自分はジャニーズJr.という存在自体をあまりよく理解していなかった。
 
だけど、幸か不幸かその年の冬から松竹座は関西Jr.のものとなった、関ジャニ∞から関西Jr.が受け継ぐこととなった。
 
校則でアルバイトも出来ないような学生でもお小遣いやお年玉でJr.担が出来てしまう環境が整ってしまった。
 
ま、そこからずるずると今に至るというわけで。
 
コンパクトにまとめようとしてはみたもののそれなりの年月がひとつに収まるはずもなく、そしてもうそろそろ疲れてきたのもありこれ以降の話は…
 
 
 
次の記事に続く
 
更新日は近日(予定は未定)