子供部屋

硝子のシューズは痛いだけ

13月

濱田の担当になって今年の夏で丸9年になる。

 
ただ、私はその中の約2年の期間、2011年少年たちから2013年全国ツアーの間まで、濱田の現場(関西の現場)を見ていない。
 
看守長も黒影もこの目では観ていない。
 
何故か。理由はただひとつ、濱田と向き合う為に離れたのだ。濱田のことは変わらずに好きだった、今も昔も彼が最後の担当だと最後の人に出逢えたという気持ちに変わりはない。
 
BOYSを失って、隣を失って、心がポッキリと折れる音が確かに聞こえた。
 
その心のままで濱田と向き合うことは、当時の私には出来なかった。
 
そこで、濱田の反対側にある空間に目をやらなくなるときまで離れることにした。
 

 
 




関西担のレポを茶の間という立場で追いながら現場での立ち位置や選抜仕事に一喜一憂し続けた2年間、同時に、私はあるグループとその中のひとりの少年を追いかけて生きていた。
 
 
Sexy Zone菊池風磨である。
 
 
 
きっかけは梅田芸術劇場での1stコンサートだった。
 
「暇だから」「梅芸だから」
 
そんな理由を並べてふらりと足を運んだその場所はとんでもない罠だった。
 
多少荒削りではあるがそれを凌駕する華が、5本の薔薇がしっかりと根を張っていた。指でつつけばポキンと音をたてて折れてしまいそうなほど繊細で未完成な身体を振り回して、ヲタクを捕えにきていた。
 
終演後、ぼうっとなった頭を抱えてふらふらと駅へと向かったのを今でも覚えている。
そしてそのまま、熱に浮かされたまま次のコンサートの申込みをした。

誰が見たいだとか好きだとか無く、ただただSexy Zoneの夢(悪夢)の中に行きたかった。
 
 
そして、春めく大阪城ホールで、菊池風磨という幻想への扉を開いた。
 
ふまけんコーナーでのこと、欲望のレインのイントロが流れ大スクリーンに映されたある一瞬の表情に私は釘付けになった。
真っ黒なガラス玉をはめ込んだような瞳を伏せて自傷気味に笑う、表面は冷たいのにその内部はどろりとした熱を秘めている男の子のかたちをした夢に。

世界で一番綺麗な男の子を見つけてしまった。
 
縋りたかったわけじゃない、代わりにしようとしたわけじゃない、ただ、「今」彼を見たいと思った。
後出しのようになってしまうけれど、元々長く続くものだとは思ってはいなかった。だってどうしようもなく私は濱田担だったから。それでも、今この瞬間だけ、自分の中で何かしらの区切りがつくそのときまで、菊池風磨を焼きつけていたかった。
 
 
 
サマリー、ジャニワ、と季節を駆け抜けカレンダーが2013年の始まりを告げた頃、大阪城ホールで私は久しぶりに彼と再会した。

濱田と。

彼は他メン数人と後日同会場で行われる毎年恒例(大人の事情で乗っ取られ変更された年も含め)関西Jr.あけおめコンサートの宣伝に来たのだ。
 
とっさに団扇の文字部分を手で覆った自分がいた、彼からは見えるわけないのに。
 
どうしようもない「好き」を突きつけられた。どうしようもなく私は濱田担だった。




月日は流れ同年の3月から始まったツアーオーラスが、私にとって最後の「菊池担」としての公演となった。

決めていたわけでも冷めたわけでもない、それは「区切り」だった。


最後に披露されたデビュー曲でのこと、センターステージに寝転び歌詞に合わせ空に手を伸ばす彼の姿を見た瞬間、私の中で「菊池風磨」という少年の最後のピースがぴたりと収まったのだ。

それはすごく綺麗な景色だった、その瞬間、世界の中心は確かに彼のものだった。

眩しかった。

あんなにも綺麗な男の子を私は後にも先にも知らないし知ることはないであろう。

幸せだった、ずっと。




これが私の菊池担として生きた短く長い日々の走り書き。

誤解のないように一応言っておきたいのは、風磨ちゃんに魅力を感じなくなったわけではないということ。彼はこれからもどんどん素晴らしくなると心から思っているということを。

少年収で久しぶりにその姿を見て、ステージに立つべき者だとあらためて感じた。どうしようもなく引き込まれてしまう力がある、と。





担当と呼べる程のジャニーズは今までで3人いるその中で、菊池風磨という夢を貪っていた時間が一番美しかったと断言出来る。

あの期間に名前をつけるとするならば、まさに私にとっての「13月」だったのであろう。