子供部屋

硝子のシューズは痛いだけ

センター

今回は私から見た、ひとりの濱田担から見たセンターのあの子のお話。

 
 
 
 
 
 
2008年のあけおめコンサート後のことだった。
 
皆で掲示板やブログで感想を語り合う中、「カメラJr.(※あるメインユニットに、バックJr.がカメラを向けファッションショーのように写真を撮るという演出があったのだ)中の一人の笑顔が最高に可愛い」と話題になった子が居た。
 
 
 
 
それが重岡大毅である。
 
 
 
 
当時の彼はバックJr.の中ではメインメンバー、パンフレットでも他のわらわらとは別に(他数人と)ページを貰えるくらいの立ち位置だった。
私自身、前年に放送されたカンテレ制作ドラマ「DRAMATIC-J」の中の一作で良い立ち位置の子という認識しかなかったと記憶している
 
2008年夏にHey!Say!7WESTに加入、しかし立ち位置は端、しかも同時に加入した2人が新人だったこともあり彼「だけに」スポットが当たるような機会はあまりなかったような気がする。
 
 
 
いつから真ん中にいたのか、分からない。
 
気がついたら、居た。
 
自分の力で。
 
 
2010年少年たちは実質彼が主役だったから、おそらくその辺りの時期なのだろう。私が彼を意識するようになったのも。
 
 
その意識は、けして良いものではなかった。
 
だって、自担の前に立つ人は全員が敵だったから。
 
中でも「センター」に立つ者は。
 
 
 
 
優馬が関西の真ん中に居た時代、私は彼のことを羨んでいた。妬んでいた。それが彼のせいではないと分かっていても態度で示すようなことをしていたと思う。いや、していた。
 
彼がとてもいい子だということ、その立ち位置に相応しくあろうと努力しているところ…痛いくらいに伝わっていた。けれどもそれが余計に当時の私を苛立たせた。私が100%悪いから、分かっているから余計に。その姿を見る度に、自担は真ん中に立てる人間じゃないと気付かされるから。
 
「0番」には0番に選ばれた人しか立つことが出来ない。
自担は「中心」の人だけど、「中央」の人じゃない。
好きだけど、好きだから。真ん中だけが立ち位置じゃないけれど、それでも。
 
 
何よりも悔しかったのは、あるコンサートで『悪魔な恋』の宣伝をそして「仲間」のデビューを祝福するよう客席に促す役目を任されたのが自担だったということ。何故、大人は濱田を選んだのであろう。一生許さない。
 
今ではフラットな気持ちで優馬のことを見られるようになって当時の自分を恥じ反省しているけれど、許してほしいとは思わないけれど、こちらはこちらなりに必死だったということだけは言わせて。
 
 
…話を戻そう。
 
「立たされた」センターの次は、重岡は、「たどり着いた」センター。
 
正直、はじめから、心のどこかで認めていたのだろう。
 
自分の中にある「納得」に戸惑った。
 
「嫌い」とひと言で言い切れるものがあったのなら、いっそ清々しかったのにね。
 
 どうしようもなくどこかで惹かれてしまうところがあって、だけれどそれを認めたくはなくて。
 
コレという明確な理由もなく担当以外の人物に心を揺さぶられるという奇妙な感覚が落ち着かなくて。
 
そこで私は、彼の粗を探すことで「いちゃもん」をつける理由を見つけることで自らの気持ちをコントロールすることにした。下げることでしか濱田担でいる私としてのプライド(今思えば本当にくだらないのだが当時は真剣だった)を維持出来なかったのだ。
 
それだけではない。その頃からじわじわといやもっと前からか、自ユニの序列が下げられてきたと感じることが増えて濱田担としてだけではなくBOYS担として焦りが出てきてそれらすべてをひっくるめて一番分かりやすい標的にぶつけることにした。
 
表だって何かをするわけではなかったが、自らの奥底にある「納得」を否定し続けることでギリギリのところで彼を認めないことで自分を自分の大切なものを守ろうとした。
 
 
 
 
 
 
 
そして2014年冬、自担と「センター」のままの重岡がデビューした。
 
同年の春におこなわれたデビュー記念公演「なにわともあれほんまにありがとう」、その松竹座公演初日に私はある顔を目撃することになる。
 
 
終盤のバンバン!!での出来事だった。4:3に分かれ交代で着替えながら客席を煽るメンバー達、始めに濱田藤井神山が着替えにはけ、ステージにいるのは4人だけという状況になった。
 
「近くの他担より遠くの自担」派の私は誰を見るでもなくふらふらと視線を漂わせていた。
 
そのときである。
 
愛おしそうに客席を眺める重岡大毅を目撃してしまったのは。
 
夢を見せる側の人間のくせに夢の中に迷い込んでしまったようなふわふわした表情で。
 
ただの少年だった。そこにいたのは「アイドル」重岡大毅でも「センター」重岡大毅でもなかった。
 
戸惑った。
 
そしてその瞬間、素直に、心から、「この人が好きだ」と思った。
 
何のためらいもなく。
 
 
 
 
彼に対しての「好き」は鮮明な色を持たない。
 
これを「好き」というのかも分からない。
 
自担への分かりやすい「好き」とは全然違う。
 
けれども私は重岡大毅が好きだと思う、好きだと「認めた」。
 
この記事にオチはない。
 
何が言いたいのか言いたかったのかも分からないまま終える。
 
それでも書いてよかったと思う。
 
濱田担から見た彼のお話、きっと担当さんからはツッコミどころ満載でしょう。それでも書かずにはいられなかった。だから書いた。それだけ。