子供部屋

硝子のシューズは痛いだけ

ごめんね青春①

ドラマの話ではない。

今回は4人と2人のBOYSについてのお話、ずっとずっと吐き出してしまいたかったもの。あらゆる方面へのごめんねと共に。

 

 

 

08年の夏から、BOYSは2人体制となった。そのことに対しての悲しみはあまり無かったように記憶している。私は4人のBOYSという存在を愛していたわけではない。私が愛していたのはあくまでも濱大だった。勿論、太太(あえて懐かしい呼び方で表記してみる)は好きだ、好きだった。コンサートで4人がわちゃわちゃする姿やラジオでくだらない話で盛り上がる様子は女子が思い描く男子高の昼休みそのもので、それを覗き見しているかのような楽しさに当時はワクワクドキドキさせられたものだ。理想の「男子たち」、共学ならば「ちょっと男子ー!ちゃんと掃除してよ!!」男子たち、それが4人のBOYSだった。

私が気にしていたのは魅せ方の差である。スキルの話ではなくそれ以前の、振りが入っていなかったりメリハリが無かったりという細かいところが気になって仕方が無かった。その点で、どうしても私は4人のパフォーマンスが好きにはなれなかった。100%の気持ちで4人のBOYSを愛せなかった、濱大と太太への気持ちの量にも差が出来た。

 しかし、2人になってからはそれはそれで物足りなさを感じていた。「濱大」としての空気感は何も変わらなかったけれど、2人体制のBOYSは「僕たち大阪ヤンキー少年」というコンセプトが薄れてしまったように思えたのである。ふたりになってからのBOYS曲Give meもStay goldも好きだったけれど、今までの「BOYSらしさ」はそこには無かった。

2人体制になってしばらくして気が付いた、ギャルとふわふわの二面性を持つ龍太と、愛すべき馬鹿(デカい)薫太というマスコット性の高い2人が「BOYSらしさ」の大事な部分を形成していたのだということに。

私はわがままで勝手で最低だ。結局はBOYSとしてのかっこいい濱大が見たいがために太太にいてほしいとそのとき思った。

 

これがひとつめの懺悔。

 

次の記事はBOYSとB.B.V.と呼ばれた男たちについて。

少しずつ2人のBOYSをBOYSとして受け入れ始めた矢先のB.B.V.という括り。

B.B.V.としてではなくどうせならば最後までBOYSのままで消滅して欲しかったという思いが今でも拭えない一人の濱田担の話。