子供部屋

硝子のシューズは痛いだけ

俺節

29日13時30分公演

 

 

 

涙が止まらなかった。魂が揺さぶられるとは、まさにこのことだった。

 

こうじとテレサが初めて身体を重ねる場面、互いの魂が重なり合うようでとても美しかった。

 

おきなわが犬のように鳴く(泣く)場面、哀しさと失われた友への情に溢れていた。

 

お別れの直前、ステージと階段上から声に言葉にならない愛を叫び合うこうじとテレサの姿に胸が張り裂けそうになった。

 

 

とてもいい舞台だった。

 

劇中で言っていたように、私が日常に戻っても、辛いとき悲しいときどうしようもないときに、彼の歌が流れてくるのだろう。彼は確かに「歌」を歌っていた。彼の歌はいつまでも観客の中で生き続ける。

 

 

 

 

 

 

とてもいい舞台だった。

 

それだけで終わらせたかった。

 

 

 

 

 

こうじとテレサが初めて身体を重ねる場面、ふたりが性器の名称や性的なワードを口にしたり「そういった」行動をしたりする度に起きる笑い声、

 

お別れの直前にステージと階段上から声に言葉にならない愛を叫び合うこうじとテレサ、魂が直接発しているかのような音に向けられた笑い声、

 

私の席の周辺は結構な人数、それが当たり前の反応であるかのように笑っていた。

 

性器の名称を口にしたり下腹部を触ったりする「安田章大」が面白いと感じたのだろうか、今までの物語の流れを観た上でこうじとテレサが真剣に愛し合っている姿を見守っていたその上で、彼等を笑うことが出来たの?

 

お別れの場面で声にならない声をかけ合うふたり、それはただの奇声なんかではなく、魂の共鳴だった。「愛してる」や「好き」なんて言葉では表しきれない熱情を音にしてぶつけ合っていた。ドラマのように映画のように綺麗でロマンチックなラブシーンとは程遠い、人によっては醜く映るかもしれない。けれども、彼等は最後の最後まで懸命に、そしてきっと永遠に愛し合っていた。人々は、どこに笑う隙間を見つけたの?

 

感受性が豊かではない人ばかりだったのかな、と思うことにした。とても残念だった。

 

 

 

 

 

劇場を出て、駅へ向かう途中、若い女の子が外で待っていた友達らしき子に「どうだった?」と感想を尋ねられていた姿を目にした。

 

すると、

 

「めっちゃ近かった~!やばい!」

 

と、その子は答えていた。

 

 

君の大好きな担当さんは、とても素晴らしい舞台をつくりあげていたよ、立派な座長だったよ。そんな人の担当でいることを誇りに感じてもいいくらいだよ。

 

それを「めっちゃ近かった~!やばい!」

 

などという言葉で片付けてはいけないんだよ。

 

見知らぬ彼女のその後は知らない、もしかすると、きちんと舞台の感想も語っていたりするのかもしれない。

 

けれども、一番はじめに口にするのがその言葉だというのは何か違うのではないかと、勝手に思ったりしてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

笑っていた人々やその女の子の目当てが座長であったとは限らない、もしかすると、他の出演者の方のファンかもしれない(視線、開演前や幕間に聞こえてくる会話や持ち物からおそらくほとんどがジャニヲタだったが)。

 

ジャニヲタだからどうせジャニーズ目当てだとかなんとか言われがちだから気を付けようと言いたいわけではない、偉そうに説教をしたいわけではない。

 

ただ、残念だったという思いを吐き出したかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日の千穐楽が、無事に迎えられますように。無事に終わりますように。

 

素晴らしい時間をありがとう。