JAMを通して、大倉忠義についてあらためて。
JAM本編を再生しながら思ったこと感じたこと。
本編の感想というよりかは、自担である大倉忠義への想いを並べただけのもの。
私個人が、他担に自担のことをあれやこれや賞賛も批判もその他の何に対しても言われているのを見ることがあまり好きではないタイプの人間であるため、あえてこのスタイルをとっている。
何よりも、Answerやノスタルジアについても衝動のままに書き散らかしたい想いはあれど、下手に文章にするのも躊躇われるほどに彼等自身にとってもまたそれぞれのファンにとってもとてもデリケートなものだと思うから今回は保留としておく。
かといって、大倉担の全員が全員同じ考えであるはずもないから、この記事もあくまでも私というひとりの大倉担の一意見であることをここに予め記しておきたい。
罪と夏で亮ちゃんとふたり前に飛び出した姿を見た瞬間、とてもかっこいいと思った。
tornふたりが並ぶと、場が引き締まる、関ジャニ∞というグループがシャープに研ぎ澄まされるような気がした。
ふたりが並ぶと、スマート。
関ジャニ∞全員が最高の顔面の持ち主なのは当たり前の大前提として、それぞれが違うベクトルで最強に男前なのを踏まえた上で、その中でも2TOPは横すばの顔面だと個人的には思っている。彼等自身の元々のオーラという量りきれない(あくまでも)主観的な要素を含めて。
それとは別に、年少のふたりが並ぶと、その「空気感」がすごくかっこいい。けして「雰囲気イケメン」とは違う。
私が関ジャニ∞を知ったとき、それは、偶然見たHEY×3初登場回。ぬぼぉと座り固まっていた彼に一目ぼれする形で私は彼を好きになった。当時はmy store(略)の歌詞のように、周囲の友人たちに彼のことを話しても顔と名前が一致しないとよく言われたものだ。
月日は流れて、だんだんと大倉さんはグループ内の所謂イケメン枠へと移行していった。まるで、欠けた部分を補うかのように。
今でこそそれがしっくりくるようになったけれども、ここまで来るまで、色々と噛み合わないことも沢山あった。
まさに地を這う蝶のようにもがくアンバランスな彼をただ見つめることしか出来なかった。身の丈に合わない露骨にセクシーな仕草を見せたり、一時期はあの特徴的な笑い方もあえて抑えていたように思う。
グループ自体が少しずつ大きくなっていくうちに、いつからか彼の中のアイドルとしてのバランスが整って、いつからか彼はグループの「入口」と言われるようになった。大倉さんを入口に関ジャニ∞のファンになり後に他のメンバーの担当になる、 といった意味でその単語は使われているようだ。
私、どうしてもこの言葉が受け入れられなくて。皆が皆そういう意味を含めて使っているとは言わないけれども、大倉さんの担当でいることはミーハーで、他のメンバーの担当でいる方がコアなファン、「分かっている」ファン、みたく言われることも無いわけではないことに。
大倉さんにとってもその担当にとっても、他のメンバーやそれぞれの担当に対しても、それってすごく失礼なことじゃない?
私の好きな人はそんな軽んじられていい存在じゃない、7人それぞれが最高で最強でそれに優劣なんてつけられるはずなんてないのに。
話は少し逸れるが、デビューしてからの濱田君が、所謂「ダークホース」と呼ばれることに対しても、その単語を押しつけられるのを見る度に、私は嫌な気持ちになっていたことを思い出す。
私が好きになった彼は、その当時、逆に「入口」のポジションであったということもあるし、それこそ「コアなファン」である自分に酔いたいがために彼のファンになったのではないかと邪推してしまいたくなるような人もちらほらと見かけたからである。
「ホース(馬)」と「ダークホース」をかけているとかいうツマラナイ言い訳は要らないから。そもそも、私個人、あの子以外に馬面いじりされること自体大嫌いだから。
話を元に戻そう。
すばちゃん担の母親と私のみで完結している私の中の対関ジャニ∞の世界、あえて他のファンと交流したり共有することなく細々と楽しく生きるスタイルで生きていても、必要な情報収集を行う過程でどうしても他人の世界に触れてしまうことがある。
その人の見えているもの感じるものを否定しない代わりに、私もこうしてたまに吐き出すことを許してほしい。
私の好きな人は私にとって一番のアイドルよ、と。
「出口」のない「入口」だ、と。